【IDL&SEEDATA対談②】持続的イノベーションに必要な「リフレーミング」の役割とは

近年、イノベーションに対しての機運が高まっているものの、世の中の生活者が何を求めているのか、生活者に対して何を提供すればよいのかがわからないといった声を多く聞きます。

この連載では、株式会社インフォバーン内でデザインチームIDLを立ち上げた井登氏と、SEEDATA代表の宮井の対談から、『生活者が潜在的に求めているもの』を発見する際の考え方と、現在のデザインの手法が直面している問題点を探り、全4回に渡りお届けします。

第1回目はこちら⇒①消費者に新たな価値を提供するための両組織のアプローチとは

写真左:

井登 友⼀(以下:井登)。株式会社インフォバーン 取締役執⾏役員 京都⽀社⻑。⽇本プロジェクトマネジメント協会認定 プロジェクトマネジメントスペシャリスト。特定非営利法人認定人間中心設計推進機構(HCD-Net)理事

写真右:

宮井 弘之(以下:宮井)。株式会社SEEDATA 代表取締役。インテリジェンス・インキュベーション全体統括

企業が陥る、「新しいものをつくればよい」という考え

-お⼆⼈のお話に共通して、「意味」というのが重要なキーワードになっています。井登さんの根底にも「リフレーミング」という⾔葉がありますが、その意味を今⼀度教えていただけますか。

井登:⼆年ほど前に、『「⾏動観察」の基本』の著者である松波晴⼈さんがデザイン関係の学会でリフレーミングという⾔葉を使ってらっしゃったのが、この⾔葉に着⽬したきっかけです。イノベーションというと、どちらかというと、破壊的なイノベーションを僕ら企業は求めがちですが、持続的なイノベーションの⽅が⽐率は⾼いんです。

私感ですが、イノベーションは起こそうと思って起きた訳ではないものが圧倒的に多くて、結果的に数年後に振り返ってみて「あれはイノベーションだった」と評価されるものが多いのではないかと思っています。

実は、そういったものの多くは従来のイノベーティブな製品が果たす機能としてまったく新しいということはないのですが、それをどう体験できるか、どう楽しめるか、その製品を使うことでどのような新しい意味が⽣まれるかということへ⾒⽅を変えられたもの、つまり価値や意味がリフレーミングされたものこそがイノベーティブな製品やサービス、新しい体験と呼べるのではないかと感じています。

単に新しいものを作っていくということに固執しすぎると「新しければいい」「新しければそれだけで価値がある」ということになりがちです。ただ、特に僕らは受託で企業と仕事をしているのでわかるのですが、企業がビジネスユーザーにとって製品やサービスを提供していくときに重要なのは、新しいということよりも、楽しい、役に⽴つ、新しい意味をもたらすなど、そっちの⽅が重要度が⾼いんです。

つまり、新しいことを⽣み出すことそのものより、その⼿前の、ものの⾒⽅を変えていくことの⽅が重要なのです。たとえば「今パソコンと⾔われているものが10 年経った時にどう変化しているのだろう」のように、ものの⾒⽅を変えていく⽅が少しずつ前に進めると思います。だから、リフレームという⾔葉を意図的に使っています。

宮井:実は僕もすごく使っていました。”Seduced from Difference(違いに誘惑される)”という⾔葉があるんですが、マーケターは差別化の罠に陥っていて、何か違うものを作らなければならないという考え⽅に囚われてしまい、違うものを作ることが⽬的化してしまうという意味です。これが先程の「単に新しければいい」にすごく近い話だなと思い、それをやってはいけないということを、ハーバードのジェラルド・ザルトマンが語っていましたね。

僕は以前、臨床⼼理学の吉本武史先⽣にインタビューを教わりに⾏ったことがあって、その時にセラピーの世界で、うつ病やあがり症の⼈が治癒していく過程にリフレームというものがあると知りました。

そこでは、⾃分はあがり症でダメだと思っていた⼈が、セラピストと会話をして、なぜ⾃分があがり症になるのか、あがり症になることで⾃分はどういう経験をしてきたか、こんないいことがあったということを考えて、プラスの意味を⾒出した結果、あがり症が治るんです。なぜなら、あがり症である必要が無くなって、別の⽅法でやっていけばいいからです。

その話を神戸大学の栗⽊契先⽣と聞いていたのですが、その後栗⽊先⽣は『マーケティング・リフレーミング ‒視点が変わると価値が⽣まれる』という本を出版しました。

マーケティングの過程でも当然意味を⾒出す過程があって、デザイン思考もそうですよね。ただ⼀つ⾯⽩いのが、競争によって新しい意味が⾒出されていくということ。企業同⼠が⼀つのカテゴリに対して⾊々な商品を出すことで、競争の結果、消費者が新しい意味を⾒出していく。そういうことが⾃然発⽣的に起きているんじゃないかという話があって、⾃然発⽣的に消費者が商品に意味を⾒出していくというのはすごくSEEDATA の持つ「トライブ」に近い考え⽅なんです。

井登:「トライブ」⾃体が典型的なエクストリームユーザーですからね。

宮井:そうやって意味を⾒出していくんだということを、今のお話を聞いていて思いました。

「今困っていること」を見出すのではない、「これから求められるであろうこと」を見出す

-例えば⼀つの商品でも「⾷事回数を軽減することができる」というのはメーカー側の考えで、「美容にいいんじゃないか」「頭をスッキリできるんじゃないか」というのが消費者の考え、ということですね。

宮井:これが⼀社だけじゃなく、いろんな企業同⼠のコンペティションも含めて、⾃然発⽣的に意味が⾒出されていくんですが、それを井登さんのチームはちゃんとプロセスとして⾒ていくんです。これが現代において⼿法化されつつあるのがすごく⾯⽩い。

ニーズではなくて意味を⾒出す時代になっているから、作り⼿も意味を⾒出さなきゃいけないし、受け⼿も意味を⾒出さなきゃいけない。そこにリフレーミングというキーワードは収まりがいいんですよね。

-IDL でも、”Jobs To Be Done”という⾔葉が出ていていて、それも「ものを使っていることにどんな意味があるか」ということですよね。

宮井:それが潜在的なニーズを⾒つけるということとどう違うかということをプランナーもしっかり意識しないといけないし、クライアントさんにも理解してもらわないといけないと思います。

端的に⾔うと、意味を⾒出すことは困りごとを解決することとは違うということ。消費者の中に困りごとはあるんだけど、それだけじゃないんですよね。

井登:いくつかの源流の⼀つにHCD(Human Centered Design=⼈間中⼼デザイン)がありますよね。このプロセスはデザイン思考と似ていて、何らかの製品の利⽤状況・利用文脈の観察からニーズ、⾮充⾜、不具合の理解を行い、それらを解決するアイデアを考えて実装、具現化する。それを製品に落としこんだり、プロトタイプを作って、 また繰り返し改善・改良するというアプローチです。

ただ、不具合やさらなるニーズが⾒出せるうちはいいんです。それすら⼗分じゃない企業は少なくないので、もっとボトムアップすべきなのですが、すでに頑張ってやっている企業や、新しい領域の価値、特に「いま別に困っているわけではないんだけど、新しい製品やサービスが⽣まれた後にそれを⾒ると、やっぱり欲しかった」というものを扱おうと思うと、最初の利⽤状況の観察と理解というところから始められないんですよ。なぜなら、まだこの世の中にはないものなので。そういうところでニーズを知っていこうというアプローチだと、何も⼿がつけられなくなってしまうんです。

そうしたとき有効なのが、抽象度を⼀段上げること。例えば掃除機をテーマにした場合、掃除機や掃除という⾏為を、メタ的に表現すると、「家事」ですよね。でもそれに関するニーズじゃ出てこないので「気持ちがいいとは」や「爽快感を与えるには」というように抽象度をあげると、本来掃除機に関係のないように⾒えるものが解決されたりすることがあります。そういう時に「これが⾯⽩かったんだ」と思えたりするものの⽅がある意味優れているといえますよね。

このように、UX を考えたときにそのものの機能に本来直接関係しない、「楽しさを与える要因」や「不安さを解消できる要因」は何なのかというように、複層的にみた⽅がいいんです。

ただ抽象度が⾼ければいいというものでもなくて、ちゃんと具象に落とせるように思考の⾏き来をしなければならない。この抽象と具象を繋ぐ時に編集的な部分が必要になってくる。感情などの抽象度の⾼いレベルでの意味と、普段の⽣活利⽤における意味を掛け合わせると、「こういったことが今は求められていないけど、今後こういったものが出てくるとしたら喜ぶ⼈がいるかもしれない」というのがヒントとして出てくる可能性があります。

正解ではないけれど、ヒントがすごく重要で、ヒントすらつかめないものって扱いようがないんですが、この作業をしないでヒントをつかもうと思うと、単なる思いつきになってしまうんです。

ユーザー中⼼からユーザー “脱”中心へ ユーザーを客体化せずに捉える

宮井:今、井登さんが⾔ったことって、いろんなハウスデザイナーの⼈で⼈間中⼼やユーザー中⼼でやっていた⼈が⾏き詰まってモヤモヤしているところを、まさに⾔語化してますよね。

井登:⼈間中⼼設計を極端に捉えると、ユーザーがセンターということは、デザイナーがユーザーを客体化しているということとも言えます。最近よく⾔われるペアデザインやコ・クリエイションなどは、デザイナーがユーザーと相互に関わっていくことで新しいことが⽣まれたり、思いもしなかった意味や利⽤⽅法が出てきたりするものなので、ユーザーを客体化していると出てこないんです。ユーザー中心という考えは非常に⼤事なんだけど、それだけではこの豊かな時代には十分ではないのではないかと感じています。

ある意味、ユーザー “脱”中心発想(User decentered Design)こそが、今とこれからの時代に求められるのではないかと。

機能便益だけで勝負できる商品はその限りではないのですが、⼀つの製品でも⾼次の価値や意味に繋がっていくものは意外と落とし込みができない。そういう時に「いろんな⼿順を踏み、リサーチもして、デザイン思考などの様々なプロセスも踏んでいるんだけど、なぜだか変わったものや新しいものが⽣まれない」と⾏き詰まるんです。改良はできているのに新しくない、⾯⽩くない。そういう時に抽象度を上げたり、メタレベルをあげたり、あえてユーザーを客体化しすぎないという視点の重要性の高まりを、実務家として痛感しています。

宮井:⾃分の普段の⽣活ではそんなことないのに、つい仕事だと客体化しちゃうというのは⾏き詰まっている部分だと思いますね。抽象度を上げるということと客体化をしないということ、そこのジレンマと戦わないとリフレーミングは起きないかもしれないですね。

井登:SEEDATA のトライブレポートを⾒たときに感じたのですが、「トライブ」の⼈たち⾃体が全く客体化していないですよね。⾃分たちが極端なユーザーだったり、極端な思いや理由を持つ⼈たち。没⼊して何かの利⽤⽅法を発明している⼈たちなので、そこに客体の意識はない。

でも、⼈によっては集めた⼀次情報に発⾒があればあるほど客体化しちゃうんですよね、つまり分析をしてしまう。分析ではなく感情移⼊した解釈をしようとするのですが、⾔語情報を⽂字化したり映像情報を切り分けて情報化すると、分析の対象になっちゃうんですよね。

もちろん分析的な観点で解釈を⽣み、新しいヒントやインサイトを⾒つけることもたくさんあるのですが、それではカバーできないようなテーマや、製品やサービス、価値の領域になった時にお⼿上げになってしまうんです。分析の時点で⾓が取れたりするので、⼀次情報の尖り具合をぐんとあげないと、客体的に集めた情報って集めた時点で⾓が結構取れていくんです。

ただ、トライブレポートで語られていることは「こんなユーザーがいるのか!?」と思うくらい⾓がすごくある状態で、⼀次情報の質感や密度がどっしりと重い。それができるのは、⾃⾝を客体化せずに完全主体として「俺がやりたいからやる、理由はない」といったオタクやマニアや、何らかの必要に迫られた⼈にしかできないので、そういうところに価値があると思っています。(続く)

(第3回は6/28頃公開です)

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